日経新聞夕刊に連載中のエッセイより。毎日日記を付けている男が、一日付け忘れたことに気づかず、日付が一日ずれたまま日記を綴りつづける…というちょっと間抜けな失敗談が、記憶の本質、あるいは忘却の本質にまで広げられる。さすが古井さん、という広げ方と目の付け方。ラストのほうを、ちょっと引用。
知らざるを知れ、知らないということを知れ、とはこれも古来の教訓だが、知らないということを知るとは、そもそもできることなのだろうか、知らなければ、知るも知らぬも、判別がつかないのではないか、と考えてしまう時がある。さらに、知らないことはほんとうに知らないのだろうか、とも疑いたくなる。記憶にないとは忘れたということであり、忘れたことなら思いだす時もあるだろうから、知らないということとはおのずから違うのだろうが、しかし記憶の空白はその現在においてほとんど、知らないに等しい。しかもしの知らぬも同然の空白がやはりその現在において、人の志向や感情行為におのずと影響をあたえるらしいこと、あたかも記憶を踏んでいるのに、つまり知っているのに、ほとんどひとしく見える。
人は覚えていることよりも忘れていることのほうに、知っていることよりも知らないことのほうに、支配されて生きていて、ときどきはっと驚くだけのことか。
- 作者: 古井由吉
- 出版社/メーカー: 日本経済新聞社
- 発売日: 2004/10
- メディア: 単行本
- この商品を含むブログ (8件) を見る
- 作者: 古井由吉
- 出版社/メーカー: ホーム社
- 発売日: 2005/01
- メディア: 単行本
- 購入: 1人 クリック: 2回
- この商品を含むブログ (7件) を見る