わたしが猫に蹴っとばされる理由

文学・芸術・哲学・思想の読書&鑑賞日記が中心ですが、雑食系なのでいろいろ取り上げてます。猫もいるよ♡

松浦寿輝「塔」読了

「群像」1月号より。孤独を愛する厭世家の富豪・平岡が、月の明かりを自分の骨に染み渡らせたいという欲求から、信頼している建築家の提案で塔を建てることになる……。やがて塔は完成し、ある夜、塔の中で冬の三日月の光を浴びながら平岡は考える。引用。

 感受性を観念の鎧で抑えこむということ。しかしそれが死を、自身の肉体の潰滅を前提としないかぎり成り立たない操作だとするなら--そのことだけは疾うから自明だったのだが--それは結局その操作自体が或る倒錯でしかなかったからにほかなるまい。(中略)その倒錯こそが俺の生の特権だと考えていた。しかし倒錯とは選ばれた者の特権でも何でもなかったのだ。むしろこう考えるべきなのだ、すべては観念なのだ、この世界はそのものがことごとく観念でありイメージであり、堅固な手触りを備えた「現実」の個物など一切存在しないのだと。感受性も筋肉も幻想でしかなく、その幻想自体のうちに胚胎された倒錯以外の人間の生が引き受けるべき真正の現実はないのだと。そのとき倒錯が全面化する。倒錯は世界のすべてを満たしさらに縁を越えてその外部にまで溢れ出す。今や生も倒錯であり死も倒錯だった。

群像 2010年 1月号 [雑誌]

群像 2010年 1月号 [雑誌]

松浦寿輝の作品はこちら