「群像」二月号掲載。第四回の、内田裕也の流れから武田泰淳へ。確かに泰淳先生の作品は政治的な背景に影響され、というか、そこへの問い掛けが出発点あるいは作品を動かすエンジンになっていることが多いような気がする(そればかりってわけじゃないよね)が、なんで内田裕也シェケナベイベーやねん、という違和感は、読んでいてずーっと感じつづけていた。確かに彼の政治に関する発言は文学的な問い掛けのようで不思議な魅力に満ちているのだけれど、文学と文学的なものを同時に語ることの危うさのようなものを、ちょっとだけ感じた。ただ、この方法は源一郎さんが昔から取っているもの、というよりもこの方法こそが創作のエンジンなのだろうな、とは思っていて、これこそが高橋源一郎が高橋源一郎であることの所以なのだけれど。他人にはちょっと真似しにくい手法。博学であることと明確な論理性があること、この二点が高いレベルで求められる。
泰淳論の部分があっさりしちゃったのが残念。まあ、泰淳先生を語ることが目的ではないようだけれど。
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