わたしが猫に蹴っとばされる理由

文学・芸術・哲学・思想の読書&鑑賞日記が中心ですが、雑食系なのでいろいろ取り上げてます。猫もいるよ♡

沈鬱な悲愴さと底抜けの明るさと

 六時起床。麦次郎が朝から雄叫びを上げている。なにかと思ったらゴハンの入れ物が空になっていた。入れてくれ、とせがんでいたらしい。昨日はほとんど食べなかったので心配していたのだが、どうやら退院できたことがうれしかったのか、興奮していて、あるいは安心しすぎて眠くて、何かを食べる気が起きなかったらしい。
 仕事が大混乱。こちらは整然と作業しているつもりだが、周囲が混乱しはじめているのでそれが次々と及んでくる。その混乱の隅々に、不思議と沈鬱な悲愴さが感じられる。そこには同時に、開き直った底抜けの明るさも微妙に入り混じっている。年末だな、と実感する。
 十一時、麦次郎を連れて病院へ。腎不全治療のための自宅での輸液(点滴)の仕方を教えていただく。背中に針を刺すのだが、その行為自体はさほど難しくない。セッティングの手順がやや長いので、それに慣れることのほうがやっかいかもしれない。
 午後も仕事。混乱を解くように、あるいは混乱から遠く離れて混乱とはまったく関係のないものを、じっくりと。それでも時折、せかされる。
 クリスマス・イブだが行事はとくになし。明日にする。