身体的であると同時に言語的な存在でもある人間について。いや、ちょっと違うかな。人間は身体的な存在だが、「私」は言語的な存在。自我は言語によって生まれる。その出発点になるのが、親から付けられた名前。名づけという行為は、「私」の誕生であると同時に親の再生でもある。親は自分自身の再生(分身?)として、子に名前=意味=希望=欲を与える。そういうことかな。
気になったところをちょっと引用。
言語組織の全体が人間の生命の有限に比べれば無限と言っていい時間すなわち永遠に属しているとすれば、ブランショ風に言えば、人間は生み落とされて名づけられると同時に、言語すなわち永遠の世界、死の世界へと染め上げられ、完璧な言語作品すなわち完璧な死者となるべく,以後、言語運動を展開してゆくことになるのだ、ということになる。人間は言語へと離陸した瞬間、生と死を反転させてしまったのである。
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