「群像」2016年2月号掲載の評論。
小林秀雄『私小説論』を起源とした(?)私小説論の変遷、と書いてしまうとあまりにざっくりしすぎているかな。
私小説には「私小説として書かれた小説」と「私小説として読まれる小説」の二種類があるという考え方は面白いけれど、当たり前と言えば当たり前。しかし著者は、現在の小説には「私」のことを書いていながら「私小説」であることを拒否する作品や、「私小説」とはどこかが違うと作者自ら表明している作品が登場しはじめており、それらは「私小説」を書く「私小説家」たちの対岸で「私の小説(≠私小説)」を書く「非・私小説(あるいは反・私小説)」家が存在している、としている。つづきは次回。なるほど、すぐに思いつくのは古井由吉かな。次号が楽しみ。