わたしが猫に蹴っとばされる理由

文学・芸術・哲学・思想の読書&鑑賞日記が中心ですが、雑食系なのでいろいろ取り上げてます。猫もいるよ♡

狂夏/狂牛/狂気

 八時起床。晴。梅雨の谷間か、夏の訪れか。朝から陽射しは鋭く、強い。
 午前中はマンション管理組合の総会に出席。話し合いを進めていくうちに、急にと気温が上がってゆくのを感じる。だが風があるせいか、東京の真夏特有の不快感はない。昨年の三十八度台がつづいた灼熱の三日間をふと思い出した。あれはいったい何だったのだろう。
 
 午後からカミサン新宿へ。伊勢丹のセールで「DKNY」の白シャツ、「カルバン・クライン」のカットソー。小田急でぷちぷちのゴハンと「adidas」のTシャツ二枚。荻窪に戻り、ルミネのイタリア料理店――店名失念――でお茶をしてから、「無印良品」で生活雑貨、猫草栽培セット、白シャツ。
 ふだん――といっても仕事でだが――着ているのはヨウジばかりだが、インナーは他のブランドやノーブランドをよく使う。とはいえ、ヨウジらしさを保つためになるべくシンプルなものを選んでいる。
 西友で夕食の材料を買い込んで帰宅。大荷物になったが、風があって過ごしやすいのでさほど苦ではない。

 夕食はオージービーフでステーキ。輸入牛は庶民の味方だ、などと喜びながら頬張っていたら、アメリカでBSEに感染した牛が見つかったというニュースが入ってきた。アメリカ牛を食べる機会はじつのところ今まであまりなく、いわゆる牛丼チェーン、「吉野家」や「松屋」の類にも執着はなく、むしろBSE騒ぎで牛丼が豚丼に置き変わってからの方がよく利用しているかもしれぬというほどだから、ああやはり感染が出たか、とせいぜい報道内容に納得する程度だが、このニュースで落胆する牛丼ファンは多いに違いない。日本の牛肉輸入再開はおそらくまた遠のくだろう。
 
 古井由吉『仮往生伝試文』。狐憑き、と書いてよいのだろうか。ひとは少しずつ狂いながら生きてゆく。古き時代の気の触れた男と周囲の関わりの逸話が例示される。古井由吉のテーマは一貫して「狂気」でありつづけたが、この作品でもっとも狂気への言及が強い部分かもしれない。狂気が人間の本質だとすれば、愛とは狂気への理解と受容ということになる。