わたしが猫に蹴っとばされる理由

文学・芸術・哲学・思想の読書&鑑賞日記が中心ですが、雑食系なのでいろいろ取り上げてます。猫もいるよ♡

竹雨/男根/破壊

 目覚めれば、篠突く雨だ。篠とは細く群生する竹の一種らしいが。竹が落ちてくるとは物々しいが、確かに今朝の雨は竹槍を一斉に浴びせられたような激しさがある。とりわけ西側にマンションが建ってからは、壁と壁の間で音が反響するのか、雨音が極端に増幅される。雨滴の音というよりは、まさに竹、竹ひごか竹の箸か、竹の矢か槍かはわからぬが、何か細長いものを空から大量に落とされたような音が鳴る。雨が鳴る、というのもおかしな表現だが、あまりにけたたましいと、雨自体が何やら意思だか主体だかを持ち、何かを鳴らしているようにすら思えてくる。そうか、と思った。雨滴が篠自体なのではない。雨が篠を投げつけるのだ。見えない篠を、ぼくらに向かって。そのときに、音だけが鳴る。
 花子、朝から激しく鳴いている。雨音がうるさいと抗議しているようだ。
 
 六時、起床。七時、事務所へ。篠突く雨で服が重たく濡れた。事務所では、乾くまでシャツ、ズボンと靴下を脱いでパンツいっちょで仕事した。格好だけは盆休みの風呂上がりのようだ。油断していたら、トランクスからチンポコがはみ出した。集中しているとハミチンしていても気づかないから困ったもんだ。まあ、午前中はカミサンもまだ出勤せずひとりだからどうでもいいのだけれど。
 
 某証券会社の件を黙々と。カラオケチェーンの企画でポカをやらかしたことに気づき、慌ててフォローするなどしたが、昼間はいたって平穏。夜になって少々まわりが動き出したが、たいしたことはない。月末だから、止まっているものもいくらかは動く。
 二十時三十分、業務終了。「週刊モーニング」を買ってから帰宅する。
 
 古井由吉『仮往生伝試文』。偶然だが、雨の描写があった。日記を書いてから読んだ部分。情景描写、心理投影、焦点移動と、とにかくテクニカルなのに情緒的。技巧に走る芸術はツマラン、という定説なんかクソクラエ、と言いたくなるほどの完成度。美しいものには、他者を破壊するほどの力があると思う。ただし、破壊のあとには必ず再生がある。破壊するだけなら、最近流行りの芸術もどきで充分。