わたしが猫に蹴っとばされる理由

文学・芸術・哲学・思想の読書&鑑賞日記が中心ですが、雑食系なのでいろいろ取り上げてます。猫もいるよ♡

花見はタイミングがすべてである

 八時起床。近ごろは、目覚めるころの、夜のうちに冷えた部屋の空気のよそよそしさを感じることが少なくなってきた。不自然な暖気をあたりに感じて、ふとそれが布団にくるまれて眠っていた自分と、その傍らで眠っていた花子が発した体熱なのだと気づく。体熱が、外気に勝てる季節になったということか。
 空は平坦な雲が延々と広がり、青空と陽の光をすっかりふさいでいるが、春の暖かさは十分感じる。十一時、義父母宅へ。弁当を抱え、善福寺川公園から和田堀公園まで歩く。長い散歩を兼ねた、花見である。桜はまだまだつぼみが多いものの、十分に見る者の心を躍らせるくらいには花開いている。この程度の咲き具合で花見とは少々気が早すぎないか、とカミサンは(仔猫が生まれた、と知らせの電話をかけてきた)リフレクソロジストの友人kaoriさん http://www.refine-web.com/ にゲラゲラ笑われたようだが、歩いているうちに晴れ間が広がり、暖かな陽射しで春めいてきたせいか、これなら急いていると誰も笑うまい、そう思えるくらいに朝のうちとは比較にならないほどの花が開いていた。
 梅の花は重たい曇り空がよく似合う、と何度も日記に書いた。だがやはり桜は青空のもとで見たいと思う。しかし能天気な青空ではだめだ。霞む雲が幾重にも重なるが、青色は決して失われていない空に柔らかな陽射しが広がり、それが桜の玄妙な色を透かし、輝かせる。輝く花びらが重なり合い、陰影が生まれる。陰は花びらの可憐さをより引き立たせてくれる。そんな見え方がいい。
 モクレンは盛りを過ぎた。よく似た、しかし二回りほど小振りなコブシの花はこれからのようだ。山吹が点々と黄色い花を咲かせはじめている。また、同じ桜でもよりピンクが色濃い種類のものはすでに満開に近かったりする。花々を見てはオオオと能天気な感嘆の声を漏らし、傍らを通り過ぎるひとたちに聞こえてしまったかと、少々はずかしい思いをしながらも、次の花を、まだ見ぬ種類の花を、見つけにかかる。近くではヒヨドリがけたたましく鳴いては咲きはじめたばかりの桜の花をちぎっては捨てる。遠くではウグイスが美声を響かせている。ときおりギギギとコゲラの鳴き声が混じる。目の前をメジロのカップルが通る。ひとも通る。犬も通る。犬は花よりも飼い主の顔ばかりを見ている。飼い主たちは歩いたり、ブルーのシートの上で弁当を広げビールやワインを楽しんだり、持参したグリルでバーベキューを楽しんだりしている。その上に、横へ横へと枝を延ばした古い桜の木が覆いかぶさる。花の天蓋だ。
 十七時、帰宅。10kmは歩いただろうか。二週間分くらいまとめて歩いたような気分だ。ちょっと昼寝、のつもりが二時間寝てしまった。