わたしが猫に蹴っとばされる理由

文学・芸術・哲学・思想の読書&鑑賞日記が中心ですが、雑食系なのでいろいろ取り上げてます。猫もいるよ♡

富岡多恵子『動物の葬禮|はつむかし』

「末黒野」読了。昭和三十年代くらいだろうか、父母も妻も子どもも愛せない、そしてモラルをモラルと感じることができない男。開墾地の農家に生まれたが農作業を嫌い、子どものころから盗みを重ね、ただひたすらになまけつづけ、父母に見放され、妻にも見放され、幼い子どもと自分だけになってしまっても子どもの面倒を見るという発想すら持てず、子どもをそのままに出稼ぎに出かけ、どうせ子どもは自然死しているだろう、そう思っていたら子ども殺害の罪で指名手配されてしまい、最終的に男は故郷へ戻るが、そこで父母を殺してしまう。あたかも、殺すことが当然であるかのように。
 どうしてこんな男の物語が生まれてしまったのか。古い時代が舞台となっているが、テーマには十分現代性がある。だとすれば、時代背景がこのような男を生んだわけではない。ひょっとしたら、誰にも愛情を注げない状態に陥る、その要素、きっかけのようなものは、ニンゲンは誰もがもっているのではないか。それが目覚めるかどうかは、生まれ出た家族の置かれた状態や環境に左右されるのかもしれないし、そうではないのかもしれない。すくなくとも、本作の男は農作業がキライ、ただそれだけの理由で愛をいっさい拒絶した。
 悲しい物語だ。