わたしが猫に蹴っとばされる理由

文学・芸術・哲学・思想の読書&鑑賞日記が中心ですが、雑食系なのでいろいろ取り上げてます。猫もいるよ♡

もはや憲法公布を祝う日ではない

 憲法記念日である。形骸化しつつある進駐軍おしきせの憲法を捨て、日本人の手による日本のための憲法をつくるべきか。形骸化の解消こそを目指し、断固としてこの世界唯一の平和憲法を守り抜くべきなのか。すこしぐらい考えたところで結論などでない。ならば徹底的に考えてみる。そんなことをするための祝日にこの日はなりつつある。が、実際にそうしているひとはどれくらいいるのだろう。こんなことを書いているぼくですら、新聞を読んで少々考えてみたくらいだ。五分も時間を割いていない。
 七時起床。休日であるが、仕事が間に合いそうにない。某住宅メーカーWeb サイトのコピーを黙々と書く。昼前、散歩を兼ねてパン屋「アンセン」で食パンなどを買う。五月らしい、やや鋭さのある陽射しですこしだけ汗をかき、コットンのブルゾンを脱いでカットソーだけで歩いた。半袖のひとを何人も見かけた。あちこちの植え込みで見かける鮮やかなツツジの花は、重ね着より薄着で、長袖より半袖で見たほうが気分がよいように思えるのは、単純な思い込みのせいだろうか。
 午後も黙々と書きつづける。カミサンは体調があまりよくないらしく、寝ているようだ。花子がときおり仕事の邪魔をする。デスクに上り、広げた資料の上で寝てみたり、キーボードをいたずらしてみたり。こんな文字を打ってくれた。

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どういう意味だ。意味などないだろうが、気になってしまう。これだけではないのだが、あれこれ邪魔される。消しゴムを持っていかれることもある。鉛筆をかじられることもある。無視して作業をつづけると、ミャミャミャーと抗議の声を立て、ぼくの手の甲を噛む。
 十八時ごろ、作業終了。読書でもしようかと思ったが、せっかくなので今ヤフーで無料公開中の「新世紀エヴァンゲリオン劇場版 DEATH(TRUE)2」を観た。それから、石ノ森章太郎原作「幻魔大戦 神話前夜の章」もこっそりアニメ化されており、それもまた無料公開中であるのを発見したのでついでに一話だけ観た。「幻魔大戦」「新幻魔大戦」を生み出した石ノ森と原作者の平井和正が、それぞれの世界観で幻魔を別々に描くことになり、そこで生まれた作品だ。たしか、雑誌「リュウ」に連載されていたのではなかったか。平井幻魔は今でいうスピリチュアルな内容の、とある修養団体の歴史小説となり、そしてもうひとつの宇宙での幻魔との壮絶な闘いを描いた「真幻魔大戦」やそのサイドストーリー「ハルマゲドンの少女」などがとんでもないスピードで生み出され、そして未完のままとなっている。その平井幻魔とは異なり、石ノ森幻魔はあくまでSF作品であり、娯楽作品である。その娯楽性が、このアニメにもよく出ていると思う。
 夜は「オーラの泉」を観る。的場浩司。神経質で掃除好き。おかしな霊感のようなものがあり、龍が好き。うわあ、おれに似てるよこのひと。