わたしが猫に蹴っとばされる理由

文学・芸術・哲学・思想の読書&鑑賞日記が中心ですが、雑食系なのでいろいろ取り上げてます。猫もいるよ♡

夢の中、夢の外

 夢の中で、ああこのシチュエーションか、と思うことがある。そこでの自分の年齢、自分のいる場所、自分をとりまくひとたち、そんなものが、以前みた夢と共通している。目が覚めれば、なぜ共通している、などと確信したのだろうと訝ることがある。夢の中だけで活かされる記憶というものがあるのか。昨夜の夢も、たしかにそう思った。居場所は竹芝の港から学生時代にバイトしたスポーツ店、作り茶屋をしている友人の家の土間、と目まぐるしく、移動した覚えなどないのに転々と(いや、点々と、と書いたほうが正しいか)変わるのだが、それで当然、このシチュエーションではこのような行動パターンを取るのだからいい、と夢の中のぼくは不思議な状況をすんなり受け容れている。それをどこかでおかしいと思う自分もいるのだが、その自分は夢の中の自分とは異なる存在だ。その、異なる自分、目が覚めているときの自分にいちばん近い、あるいは同一と思われる自分、夢の外側にいる(らしい)自分が、夢の中の自分、自分とは違うようだが確かに自分である自分、を後ろから見ている。つまり、夢の視点がときおり、夢の中の自分から、夢の外側の自分へと移ることがある。それでも夢は、なにごともなかったかのように進んでゆく。
 この不思議な感覚だけはよく覚えているのだが、肝心の夢の内容は大部分、忘れた。
 六時三十分起床。暑さと、息苦しさと。真夏が少しずつ近づいている。
 十一時、霞が関の某IT企業へ。某ソリューションパンフレットの打ち合わせ。前回よりも求心力が強まった感覚。ボリュームアップ、スケジュール延長。
 午後からは書斎で黙々と某企業(業種は明かせない)ウェブサイトの企画。外からみるとひとつの、しかし内部的にはふたつの中心を持つ企業。不思議だ。