谷川さんとねじめさんの朗読会を聞きに行き、久々に谷川さんの作品を読みたくなって本作を買ったのが、日記には2006年の2月とあるから、一年半もかけて読んだことになる。詩って、スピード出して(速読という意味ではない)一気に読んだりできないんだよなあ(伊藤比呂美などの散文詩を除く)。数篇読んで、何日か何週間か空けて、余韻を感じて、また読んで、の繰り返し。
詩人には、時代の流れをまるで感じさせないひとと、時代の流れに乗る(あるいは意識的にであれ、無意識的にであれ、流される)ひとの二通りがあると思う。谷川はあきらかに後者。作為をもって時代を見つめ、そこから言葉を引きだして自己に内包される小宇宙にうまくシンクロさせていく。比呂美ねーさんは、時代に(というよりは運命に?)流されながらも、流されるまい、と必死に生きようとするそのエネルギーが言葉となって迸る。おふたりとも大好きだが、タイプがまるで違うなあ。
と、そんなことを考えたのは、あとがきで谷川が時代について触れていたから。ちょっとおもしろかったので引用。
時代の流れかたがどんどん速くなっていくような気がする。年を取ったせいばかりではないと思う。時代そのものが加速していて、知らず知らずのうちにそれに乗っている。だが私は時代に流されているとは思っていない。時代を超えた時空に属している宇宙が、自分のからだとこころのうちにあると信じるようになったからだ。そう感じるとき、私は一隅に佇むノンキな爺さんだ。
- 作者: 谷川俊太郎
- 出版社/メーカー: 集英社
- 発売日: 2005/04
- メディア: 単行本
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