わたしが猫に蹴っとばされる理由

文学・芸術・哲学・思想の読書&鑑賞日記が中心ですが、雑食系なのでいろいろ取り上げてます。猫もいるよ♡

三十年モノ

 六時三十分起床。目覚めると、まず寒さにたじろぐ。寒いから起きられない、そう思いつつあと五分、まだ寒いからもうあと五分と布団の中で粘ってみるのが毎日の日課なのだが、次第にその寒さが実は大したものではなく、自分のたじろぎがなまっちょろいものであったことに、すぐ気づく。今朝はさほど冷え込んでいないことを、数週間前は結露で水たまりができるほどだった窓ガラスが物語っている。子どものころはこれほど寒さに弱かっただろうか。振り返ってみる。バケツに張った薄氷を道路に投げつけて割る自分、畑にできたたくさんの霜柱を運動靴で端から順に踏みつけてゆく自分、その二つの映像がまず脳裏に浮かぶ。やはり三十年前の自分は寒さなど屁とも思わぬ元気な子どもだったではないか、と安心し、いつのまにこれほど軟弱になったのか、と再度記憶をたどってみるのだが、小学校高学年になると、ジーンズのポケットに手を突っ込み、背を丸めて吐く息の白さを何度も何度も確認しながら登校する小学校高学年の自分の姿がまず浮かび上がる。現在の寒がりは十歳ごろからのことか、二十八年か二十九年、ずいぶん年季の入った寒がりではないか。われながら呆れているとすぐ、さらにその数年前、小学校低学年のころの自分であろうが、こたつの中から首だけを出し、体を丸めてじっとしている姿が思い浮かんだ。ぼくの寒がりはどうやら三十年モノらしい。
 午前中は事務処理のために銀行回り。午後より某運送会社(厳密には運送業ではない)企画など。十五時、風邪気味で体調が今一つのカミサンが予約していた美容室、やっぱりやめておくと言い出したので、代わりにいくことに。夫婦そろって同じ美容室(「Rosso西荻窪」)、同じ担当(Hさん)なので、入れ替わってもさほど問題ではない。
 夕方は某官公庁パンフ。
 美容室に向かう途中、西荻窪の住宅街で、散りかけた梅の花を見かけた。散ると言うよりは腐り落ちるというべきか。その傍らを通り過ぎると、ふわりと、濃厚な梅の香りの壁にぶつかった。腐りかけた梅の木からは若干離れている。あの梅の、最後の気合いの籠った香りが思わぬ方向に広がったのか、別の梅の木の香りなのか、それともぼくの幻香とでもいおうか、想像力から匂いだしたものなのか。梅の花の季節は、じき終わる。