わたしが猫に蹴っとばされる理由

文学・芸術・哲学・思想の読書&鑑賞日記が中心ですが、雑食系なのでいろいろ取り上げてます。猫もいるよ♡

東京の砂嵐

 昨日はにゃんにゃんにゃんの日であることを忘れていた。いや、知っていたが意識していなかった。猫好きにあるまじきこと。
 八時四十五分起床。もう少し寝てもよかったが、花子が執拗に手を噛んだり耳元で鳴いたり腹の上を歩いたりするのに根を上げてしまった。
 春が一足早くやってきたような空模様。暖かな日差しは心地よい怠惰さを感じさせるが、その誘惑には負けることなく午前中に掃除を済ませる。昼食は雑穀入りの玄米にナッタマゴ(油をたらしよく熱したフライパンの上にリング上に納豆を乗せ、その中央の穴の部分に卵を割りいれ、蒸し焼きにする)で健康的な昼食を摂る。天気がいいから早めに行っておこう、と午後からカミサンとふたりで西荻窪の駅前まで晩ゴハンの買い出しに出かけるが、春一番を思わせる突風に散々な思いをさせられた。八百屋で買い物をしていると、突如路地に砂埃が舞う。舞うというよりは一瞬にして埃の柱ができあがり、次の刹那にはそれが渦を巻きながら崩れ落ち、四方八方に散っていく。埃の柱が崩れた後の路地の空気が黄色く染まっている。会計を済ませ、道へ出ると、路地どころか街中が黄色く染まっている。突風は強弱の差こそあれどなお吹き続ける。見上げると、晴れ渡っていたはずの空は雲で覆われ、その雲が黄色く染まっていた。褐色に近い、沈んだ黄色は早い春に浮かれ気味だった心をたちまち萎えさせる。昔見た西部劇だったか、荒野に風が吹きすさぶシーンが目に浮かぶ。次に、これも昔見たSF映画か何かだと思うが、地球上のあらゆる生命が絶滅した後、崩れ落ちたビルとビルの間でむなしく荒れ狂う突風を思い出した。これは破滅の徴候か、温暖化とも関係あるのか、などと想像ばかりがどんどん膨らんでゆく。黄砂だろうか、とカミサンが現実に即したことを言った。想像を止めたぼくは、そうだと思う、と言ってみたが実は確信がない。中国から吹く砂嵐、というイメージと、昨今新聞やテレビを賑わせているサッカー中国チームの反則疑惑や冷凍ギョーザの問題がなぜか重なり合う。
 夕方になると風は止んだが、気温はどんどん下がり始めた。
 夕食は久々につくってみた。麻婆レンズ豆豆腐(挽肉の代わりにレンズ豆を使う)、今朝の「あたしンち」で紹介していたはんぺんシューマイをアレンジしたもの、青梗菜のスープ。麻婆はぼくが担当。シューマイはふたりで。スープはカミサン。