六時三十分起床。晴れ。青空が東から天上に向かってトマトのような色に染まりかけている。朝焼けか。朝焼けの明くる日は天気が崩れるというが、確かに明日の予報は雨だ。ならば今日は休日を満喫せねば、と妙な使命感に駆られつつ身支度とドウブツの世話を進める。
十一時、カミサンと外出。荻窪のフレンチも気軽に楽しめるイートイン併設のベーカリーで軽くサンドイッチをつまんでから、横浜に向かう。湘南新宿ラインを使えば乗換は一度、三十分も乗れば横浜駅に着いてしまう。新川崎〜横浜間の空き地に茂るススキたちを車窓から眺めていたら、仕事のアイデアが急に浮かんだ。慌ててPalm Centroで書き留めた。こんなとき、片手入力が可能なキーボード付き端末はほんとうに便利。重宝している。
桜木町に向かい、伊勢山皇大神宮へ。先日、奈良の大神神社にお札をお願いし、通販のようにこちらまで送っていただいたのだが、古くなったお札をお炊き上げしていただく必要があるのでここまで足を運んだ。近所の神社にお願いしてもいいのかもしれぬが、何となく大神の祭神である大物主を祀っている神社、しかも大神神社とつながりのある場所を、と考えた次第。この神社には大神神社の祭神が宿っているとされる三輪山から持ってきた石が祭られている。お札を神主さんに渡してお炊き上げをお願いしてから、この石にお礼とこれからの一年の無事平穏とますますの充実発展を祈った。七五三の参拝客が目に付く。まず、子どもたちの派手な着物姿が目に飛び込んでくる。特に女の子は結った髪に派手なかんざしを挿し(そうしない子もいるが)、着物は赤を基調としたものが多く、しかも蛍光色のような派手なピンクが差し色で大胆に使われていたり、あるいは地色自体がドピンクだったりする。その派手さに関心を向けると、次に両親たちの表情が見える。見えると言うよりは、気づく。皆一様に笑っている。わが子がここまで無事平穏に生き育ったことがうれしくて仕方ない、そんな気持ちが読み取れた。その気持ちから、親たちはみなデジカメやデジカムでわが子を撮影しつづける。あちこちで、はいチーズ、だの、もっとにこやかに、ほら笑って笑って、といった声が聞こえた。叱られている子は皆無だった。
つづいて、この神社にほぼ隣接している成田山へ。千葉の成田山の別院なのだそうだ。不動明王が祭られている。ほかにも大日如来や観音、弁天、稲荷なども祭られていて、そのほとんどにお参りしてみた。
桜木町駅に戻り、JRで石川町まで移動。カミサンと二人で中華街を歩いてみる。おいしそうなお店があったら店先で豚まんを買ってぱくつきながら呑気に歩くか、お店に入って軽く飲茶か少なめの麺でもすするかしよう、と考えていたのだが、ぼくもカミサンもともに十数年ぶりの中華街、その変貌ぶりに唖然としてしまった。中華料理の店が集合した街、であることに変わりはないが、昔は本格的かつステレオタイプ的な店構えの本格中華料理店ばかりが並んでいたように記憶しているが、現在のこの街はファストフード風・ファミレス風あるいはそれ以上に華美でまるで落ち着かない店ばかりが増え(リニューアルした、ということか)、ピンク街かと勘違いするくらい呼び込みが多い。どうしてもひとつの店を選んで入店する気になれない。結局いわゆる中華料理店らしい店には一切入らず、「悟空TEABAR」という名前の中国茶カフェに入ることにした。ここは大通りから離れていて比較的静かなので安心できた。カミサンはプーアル、ぼくは暴暴茶。ほかに、中華パン、きのこ・山菜の類が入った中華まん、ミニ月餅。
山下公園へ。鴎がヒッチコックの「鳥」みたいに大群になってニンゲンのほうに近寄ってくる。観光客が与えるポップコーンなどのエサが目当てのようだ。桟橋で人のほうに向かって飛んでくる彼らの姿は圧巻。
山下公園からSEA BASSという海上バス(要するに船のバス)に乗り込み、横浜駅まで移動する。ひさびさの船。夕暮れ時の港の美しさをさまざまな角度から満喫できた。海はいい。空が広く見えるからだ。船の推進により波を立たせている海の色が、夕陽が織りなすグラデーションをしっかり引き立てている。
十八時、荻窪着。ルミネでお総菜を買って帰る。夕食はこれで済ませた。