わたしが猫に蹴っとばされる理由

文学・芸術・哲学・思想の読書&鑑賞日記が中心ですが、雑食系なのでいろいろ取り上げてます。猫もいるよ♡

正視ということ

 五時四十分起床。暑さが常識を超えている。ということは、常識が変わったということなのだろう。いや、常識なんて共同幻想だ。変わったのは、地球環境そのものだ。そこから目を背けるべきではない。だが、正視の仕方がわからない。正視した次に何をどうすべきかもわからない。人間が自然に対して無力であることに、目をつぶるべきか、正視すべきか。
 朝から仕事。暑いわりにしっかり脳みそは回転してくれる。仕事の連絡はいつもより少なめか。この時期になぜ、というタイミングで新規の依頼が一件飛び込んできた。明日は空いているが、それ以降のスケジュールがびっしりであることを伝えると、今回は他を当たると言われた。一人で仕事をしていると、来た依頼を順にこなしていくしかない。そこで立て込んでいれば、どんなにやりたい仕事でも、ことわざるを得ない。
 午後はかなり時間が空いたのでのんびりしていたのだが、夕方から空の表情が急激に曇り、湿った風が強く深い緑をした夏の木々を強く揺らすようになった。これは一雨来るな、と思っていたら激しい雷と地面を叩くような雨。すぐさまゲリラ豪雨となり、家の裏手を流れる善福寺川はたちまち氾濫直前になった。しばらく様子を見ていたが、マンションのエントランス前の道路が冠水している。緊急用のサイレンも(音色が変わったので緊迫感がないのだが)鳴りつづけている。すぐさま裏手に収納しておいた土嚢を出し、入り口に積んだ。八年前には一階の住民が床上浸水しており、夜を徹して対応した経験があるから、これくらいの状況ならまったく慌てない。だが、先日引っ越してきたばかりの家の奥さんは驚いたらしく、宮沢賢治の詩ではないが、通路をおろおろと歩き、とまどいつづけていた。ご主人が帰宅できないのではないか、とも思っているようだ。大丈夫ですよ、と声をかけたがその根拠が感じられないようで、表情はとまどいの色が濃いままとなっている。だがやがて雨が弱まり水も引いてくるとようやく安心したようで、あらためて挨拶しなおしていた。よくよく考えるに、この方の顔を見たのははじめてだ。九戸しかない小規模マンションだ。挨拶は大切だなあ、でもまあ、挨拶していなくてもなんとかなるけどな、と、どっちなのかよくわからんことを思った。
 ずぶ濡れになったので、風呂、夕食。夜は軽く下痢をした。作業で腹が冷えたか。