わたしが猫に蹴っとばされる理由

文学・哲学・思想の読書日記が中心ですが、雑食系なのでいろいろ取り上げてます。猫もいるよ♡

忘却のチカラ

 生活のリズムは健康なときにかなり近づきつつある。七時に起き、身支度と片づけをしてから仕事。さほど立て込んではいないので、風邪ボケした脳と手先(昨日は異常なくらいミスタイプが多かったのだ)を限界以上に酷使する必要がないのは幸いだ。しかし、それでも追いつめられているような感覚は残る。今日は新規案件の依頼も来た。来週は確実に忙しくなる。それまでに体調を調えることはできるか。まだ咳は出る。気管支にゼーゼーした苦しさが残ってる。鼻水は十分に一度チーンとしなければすぐに溜まってくる。こんな状態で、来週までに治るのか。そう思うと、わずかにではあるが心に焦りの色が浮かぶ。西洋医学のクスリなど頼りたくないのだが、気管支炎となるとそうも言っていられない。医者の診察に基づいた指示に素直に従い、よく効くクスリを決められた時間に、効かないんじゃないか、眠くなるんじゃないか、副作用があるんじゃないか、といった疑いを抱くことなく素直に服用し、睡眠時間を長めに取る。それが恢復の第一歩だ。書き出してみると、簡単ではあるが案外面倒である。恢復に近道などないことがわかる。近道がない。そう思うとまた焦りが生まれる。治したいなら、焦ることなく、すべてを忘れて休むことだ。仕事のことなど考えず、喰い、クスリを飲み、眠り、喰い、クスリを飲み、眠る。眠って、忘れる。忘れることで、恢復に集中する。忘却とは生きるためのひとつの能力だ。体調を崩すと、それを身をもって理解できる。
 集中力とは、目の前にあること以外のすべてのことを効率的に忘れる能力のことを言うのだ、と今気づいた。なるほど。風邪もひいてみるもんだな。
 夕方、内科医院へ。かなり恢復しているが、全快にはもう四、五日要するとこのと。追加のクスリを処方された。
 立川流前座の立川キウイさんがこのブログ(というよりブログ機能をまるで活かしていない純然たる日記)にコメントを残してくれた。五、六年前に杉並区主催の「若手あとおし落語会」で彼の落語を聞き、その後いっしょに来ていた落語家兼マンガ家の立川志加吾(当時。現在は雷門獅篭)のサイン会の場でぼくはキウイさんに失礼なことをされたそうで、そのイヤな思いをその日の落語の感想とともに当時公開していたWeb サイトの日記コーナーに書いていたのだが、残念ながらというか幸いというか、サイトを閉鎖したためその日記のデータは残っていない。ところがキウイさんは当時のことを覚えていらっしゃった。おまけに素人のぼくが残した言葉を真摯に受け止めている。でもねキウイさん、オレぜーんぜん覚えてないんですよ。ホントにそんなこと書いたっけ?
 来る8月14日、立川談四楼師匠や歯科医の並川抜志先生の落語会が杉並公会堂で開かれる。キウイさんの噺も一席あるそうなので、楽しみにしている。枕だけおもしろいんじゃダメだよ、キウイさん!
 余談だが、談志師匠にとって、キウイとは「フグリに似た果物」だそうである。