わたしが猫に蹴っとばされる理由

文学・芸術・哲学・思想の読書&鑑賞日記が中心ですが、雑食系なのでいろいろ取り上げてます。猫もいるよ♡

多通

 メールばかり、の一日。電話はほとんど鳴らないが、メールは一方的に届きつづけた。無論スパムではない。すべて仕事の連絡事項だ。iMacに向かってウンウンと暑苦しいうなり声をあげながら証券会社のパンフレットと格闘していると、いつの間にやら新着メールが二通、三通と増えてゆく。コマメにチェックしているつもりでも、次に気が向かったときにはまた新たなメールが届いている。三十通はあっただろうか。日頃仕事関連のメールは十通程度、重要なことは電話で話すか会って打ち合わせをするのでメールを使うときはファイルの送付や受け取りをするときくらいなのだが、そのファイルの受け取りメールが今日は妙なくらい多かった。
 忙しいと、自分が大きな何かに飲み込まれているのではないかとつい訝ってしまう。訝る気持ちこそが、ネガティブで逃避的な感情に飲み込まれている証拠だということくらい、わかっているが気持ちはアタマに見事に逆らう。いかん、落ち着こう。今日は何度も深呼吸をした。
 
 六時、起床。七時、事務所へ。朝方、霧雨が降った。傘を差すほどではないので困る。
 終日、証券会社パンフ。夕方は少しだけN不動産の折込みチラシとポスターを。
 
 二十時、脳みそがオーバーヒート気味だったので帰宅。腱鞘炎もひどい。今も、手を保冷材で冷やしながら日記を書いている。
 
 花子、帰宅後大騒ぎ。抗議するように鳴きながら、リビングの扉を見つめている。今は飽きたようで、ぼくが坐る椅子のハイバックのほうに身体をピタリと付けて寝ている。
 
 古井由吉『仮往生伝試文』。戦火の記憶。主観や感情を廃し、そこに残ったピュアな私。しかし、戦火は容赦なくひとびとを襲った。