わたしが猫に蹴っとばされる理由

文学・芸術・哲学・思想の読書&鑑賞日記が中心ですが、雑食系なのでいろいろ取り上げてます。猫もいるよ♡

古井由吉『詩の小路』

「3 晩年の詩」。寿命は、身体に、生活に、ゆるやかに、すこしずつ染み込むようにやって来る。染み渡ってしまえば、あとは記憶を振り返りながら、そして時折その再現と再生を試みたりするしかない。そこに安易な悲しみはない。著者が訳したマイヤーという十九世紀の詩人の「おさめた櫂」という作品を、引用。

おさめたわたしの櫂から水が滴り、
滴はゆっくりと深い水に落ちる。

心を悩ませたものも、喜ばせたものも尽き、
苦しみのない今日が流れ落ちる。

そしてわたしの下では、ああ、光の中から失せて、
わたしの生涯のより美しかった時たちがすでに夢を見ている。

青い水底から昨日が呼びかける。
光の中には私の姉妹たちがまだ幾人も残っているのでしょうか、と。

 さらにこの詩を紐解きながら、著者はこうも続けている。

無苦の一日とはいずれ至点であり回帰点であり、死と呼びかわす。