わたしが猫に蹴っとばされる理由

文学・芸術・哲学・思想の読書&鑑賞日記が中心ですが、雑食系なのでいろいろ取り上げてます。猫もいるよ♡

古井由吉『辻』

「白い軒」読了。首を患った折谷を見舞いに来た古い友人が、人から聞いた話として、記憶を失い十日間行方不明になった男の顛末を語る。男は十日の間、知らぬ女に他人と勘違いされ、ともに「暮らしていた」という。昼夜はかわす言葉もなく共に過ごし、夜明けごろに交わる。そんな生活の繰り返しだった。最中、女が発した男の名前、無論その名前は正しいものではなく、それに驚きと戸惑いを隠せない。と、そのくらいのことは覚えているが、女が男を何と呼んだかはわからないという。
 そう語った友人は自殺した。折谷は、その話が友人自身の体験だったのではないかと訝る。そうこうするうちに、折谷は歳を重ね、ふたたび入院し、老いを実感してゆく。人から聞く話が、いつのまにか自分の記憶と交じり合う。渾然一体となり、それがいつの間にか自らの体験になりすましている。ちょっと引用。

 老年とは死へ向かっての緩慢な物狂いではないか。陰惨な面相を剥いても面白く狂う。有難いお迎えとやらがあるとすれば、そこで入る。しかし自分にはそれが出来るだろうか、と行く末が心細くなった。