わたしが猫に蹴っとばされる理由

文学・芸術・哲学・思想の読書&鑑賞日記が中心ですが、雑食系なのでいろいろ取り上げてます。猫もいるよ♡

丸の内・福臨門 魚翅海鮮酒家

 香港に本店がある超高級広東料理店。名店ということだが、それがいちばん現れているのはコースの料金。ひとり37,000円の料理なんてはじめての体験だ(支払いは代理店持ちだったので助かった)。フカヒレスープ、北京ダック、干しアワビのステーキ、伊勢海老の上湯ソース、ツバメの巣とカニミソのスープと、まいったかと言わんばかりの豪華な内容。ひとつひとつは確かに美味である。が感動がないと思ってしまったのはなぜだろう。味の基本は広東料理で馴染みのあるものだったが、正直いってこれなら半額以下の料金でもっとおいしい広東を食べられる店はいくらでもあるのではないか。高級食材を出すことイコール高級店というわけではないはずだ。中華料理の醍醐味は、ダイナミックなのに繊細で、かつ素材のうま味を引き出すには理にかなった調理法と、何考えてるんだというくらい脳味噌を使った阿漕な味の組立や素材の組み合わせにあると思う。それが、ない。少なくとも、料理のダイナミズムも繊細さもぼくは感じなかった。鈍いのだろうか。
 北京ダックが登場したときだ。先に、こんがりと皮が焼けテラテラと輝いていたダックを見せられ、次に皮だけにしたダックと野菜、甜麺醤を包餅で包んだ形で給仕された。「皮以外の部分はどうしているのかな」という話になり、マカナイで食べるのかなあ、なんてあれこれ憶測を並べていたら、給仕していた店員がすかさず「捨てていますよ」と口を挟んできた。捨てることが名店の証だ、と言っているかのように。
 食べない部分は捨てる。それが美食なのだろうか。それが名店なのだろうか。もしそうなら、美食なぞ、名店なぞ、クソくらえだ。高級食材のかわりに、自分のクソでも料理してろ。そう怒鳴りたくなる。
 ニンゲンは、いやすべての生物は、他の存在の命を奪い、その肉を食らわなければ生きてゆけない。草食動物でも植物を食べる限り、他の存在の命を奪っていることに変わりはない。だから、ぼくらはその命を粗末にしてはいけない。つまり彼らの肉を粗末にしてはいけない、そう思うのだ。無論、とても食べられない部分はある。それも食べろ、と極論に走っているつもりなどない。おいしくいただけるのであれば、食べるべきなのだ。それに反するようなことを目の前でされると、不愉快だ。
 自分が貧乏性すぎるのだろうか。