わたしが猫に蹴っとばされる理由

文学・芸術・哲学・思想の読書&鑑賞日記が中心ですが、雑食系なのでいろいろ取り上げてます。猫もいるよ♡

国立西洋美術館 常設展

 松方某という方のコレクションが中心のようだ。ロダン印象派(主にモネかな)が多いが、それ以外のものももちろんある。以下、特に気に入った作品。
●ヤーコプ・ファン・ロイスダール「樫の森の道」(1628〜29頃)
 雲の切れ目から射す陽光が、木肌のはげた樫の木を、そしてその横に通る小路を途切れ途切れに照らす。その、わずかに射す光の部分に意識がどんどん吸い込まれてゆく。
●オノレ・ドーミエマグダラのマリア」(1849〜50頃)
 力強い聖母。母の強さ、そして人間の、肉体を持つがゆえの悲しさ。その両方が渾然一体となっている。信仰とは、決してきれいごとではない、逞しさがなければ神も自分自身も、そして息子も信じられないのだ、そんなことを思わせる一枚。
●ギュスターブ・クーリエ「罠にかかった狐」(1860)
 狐の激しい叫びが聞こえてきそう。いや、狐の叫びが大地と一体化しているようにさえ見える。勝手な振る舞いで森の秩序を乱しつづけるニンゲンに対する、自然からの抗議。そんなメッセージがあるのかと思った。
●ピエール=オーギュスト・ルノワール「木かげ」(1880)
 光だけではなく、音や空気すら感じられる絵。木々の葉音と光に包まれる感覚に圧倒された。そばを歩きたい、と本気で思った。いやあ、好きなんだよなあ、印象派は。
クロード・モネ「舟遊び」(1887) ※写真
 人物よりも、水面に映った影が気になる。影を丹念に描くことで光を描ききっている。
クロード・モネ「エプト河の釣人たち」(1889)
 そよ風、そして河のせせらぎ。これも音が聞こえてきそうな作品だ。ルノワールのような静寂ではなく、明るくて騒々しい元気な音。
クロード・モネ「睡蓮」(1916)
 花よりも、水面に映った周囲の景色が気になる。その景色が、水の中に溶け込んでゆく。溶け込む中で、蓮の花だけが自己主張している。その対比が美しいのだ。モネは影を描くのがうまいなあ、とつくづく思う。
藤田嗣治「坐る人」(1929)
 モネに比べたらはるかに繊細で華奢なのに、存在感はモネを凌駕しているようにも思えた。ただし、藤田の作品としては凡作ですな。好きだからひいき目に見ちゃうのかもしれない。いや、モネも好きなんですよ。