わたしが猫に蹴っとばされる理由

文学・芸術・哲学・思想の読書&鑑賞日記が中心ですが、雑食系なのでいろいろ取り上げてます。猫もいるよ♡

伊藤比呂美『とげ抜き 新巣鴨地蔵縁起』

 園芸についてを、ニンゲンの死とおなじ感覚で語っている。おなじイノチある生物であるが、死への向き会い方が違う。だから、とつなげるべきか、しかし、とつなげるべきかよくわからないのだが、伊藤は植物に対し「殺す」というコトバを何のためらいもなく、ごく普通に、自然に使う。その使いっぷりが衝撃的。引用。

 手で切って殺すことはないんですか、とわたしはききました。
 死ぬにまかせるんですよ、と園芸家はいいました。
 あら、あたしはいたしますよ、どんどん切り戻してやるうちに、やっぱりだめだなとわかってきてますでしょ、もうどうやっても元には戻らないと、そうしたらひと思いに、剪定ばさみで、ばっちんと根本から切り落としてやる。
 いやぼくは、そこまではしないけど、といいながら園芸家は、奇妙な、心当たりのあるような顔をしました。枯らす、枯らす、枯らして殺す、死屍累々、死のことは考え詰めているという顔をしました。
(中略)
 植物にとっての「死ぬ」は「死なない」で「死なない」は「生きる」なんですもの、とわたしはさらにいいました。