六時四十五分起床。久々の雨。というよりも、久々の雨音というべきか。近ごろは、何かにつけて耳を澄ます。音から何かを捉えようとする。以前は耳よりも先に目が動き、色や形で対象を捉えた。それがいつしか、音で捉えるようになっている。いや、音も気にするようになったというべきか。多少は感性がとぎ澄まされてきたと喜ぶべきなのか、齢三十八にしてなお五感のうち視覚聴覚のふたつしか使いこなせていないと嘆くべきか。すくなくとも感覚を持った肉体があること、これだけは喜ぶべきだろう。
雨音は弱い。冬の雨は静かに冷たく人や木々や街を濡らす。
某企業ウェブサイト。支給された元原稿の再構成。Whatすなわち伝えるべきコトではなく、Howすなわち伝える方法にばかり気をとられてしまいがち。夕方、なんとか脱稿。
今年を表す漢字は「偽」に決まったそうだ。年末恒例だが、決まった漢字は世の中を表層的に捉えすぎているのではないかと思うことがある。だが、「偽」のさらに奥に潜む何かを引きずり出して一文字漢字にしようとしたら、「今年一年の」というよりは「現代日本に巣くう」とか「人間の原罪としての」とか、そんなところまで行き着いてしまう。