詩ばっかり引用しちゃったので、違うタイプの作品も(もっとも、作者は詩人だから「詩つながり」ではあるが)。ということで、読みかけていた本作を一気に読んだ。
敬愛する比呂美ねーさんの育児エッセイ、思春期編。気むずかしい時期を迎えた二人の娘の「むかつき」「ふきげん」との果てしなき闘争の記録、といったら大げさか。もっとも、果てしないようではあるが必ず終わりが来るのが思春期(とは言い切れないか、昨今のヒッキーだのニートだのの言動を見ていると)。そして「闘争の記録」と書いてしまったが、母と娘の家族愛があってこその闘争ではある。
アメリカでステップダッドとともに暮らす日本生まれの娘たちが抱える「むかつき」「ふきげん」の質は、表面的には日本で生まれ育っている同世代の子たちと大きく異なるように見える。が、それは環境の差によるところが大きいのであって、「むかつき」「ふきげん」の根幹はおそらく同じ、と思ったのだが、子どものいないぼくがこんなこと書いても説得力ないなあ。でもまあ、ぼくにも思春期はあったから、ということで(このころの父との軋轢は、二十代になるまで続いてしまったが。思春期長すぎ、ってこと?)。
比呂美ねーさん、連載中は多くの、ねーさんと同じように子どもたちの言動に悩む読者(その多くはきっと母親なのだろうな)からお手紙をいただいたそうだ。作品への「共感」だけでも、人は十分に勇気づけられる。すばらしいことだと思う。
あとがきにあった、まどみちおの童謡「ぞうさん」を引き合いに、育児評論家・松田道雄氏の『育児の百科』について触れている部分がとてもステキなので引用。
この歌の中心、かついちばんわたしたちの心をうつ部分は「肯定感」です。
ゾウの子はかあさんが好き(肯定)。かあさんが好きだから、かあさんの鼻も好き(肯定)。それで自分の鼻も好き(肯定)。だから自分自身も好き(肯定)。
(前略)松田さんの育児というものも、そうだったのじゃないか、と。
昔とちがう課程や社会や価値観を持ったわたしたちの現状を肯定する。はっきり、きっぱり、するべきことをわたしたちに示す。
それを読んで、わたしたちは自身を持つ。自分の子育てを肯定する。自分の子どもを肯定する。自分自身をも肯定する。……
そこで考えは、松田さんを離れて、自分にひきもどります。
わたしの子どもたちも、よその思春期の人々も、わたし自身も、よその親たちも、いや人間だれしも、この肯定感なしでは生きてゆきづらい。でも手に入れるのはほんとーにむずかしくって、四苦八苦してます。
- 作者: 伊藤比呂美
- 出版社/メーカー: 毎日新聞社
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