わたしが猫に蹴っとばされる理由

文学・芸術・哲学・思想の読書&鑑賞日記が中心ですが、雑食系なのでいろいろ取り上げてます。猫もいるよ♡

海猫沢めろん「オフェーリアの裏庭」

「群像」四月号の「新鋭13人短篇競作」より。だらけたニート的な文体で友人とのドライブについてをつづるだけの短篇かな、と思ったら、思いがけず物語はスピリチュアルな方面へ。江原某のような魂の浄化といった内容ではなく、チャクラがなんちゃらだのパワーストーンがなんちゃらだの、あやしい技術系スピリチュアル、とでも言おうか。主人公は、とんちんかんなことばかり言うスピリチュアルかぶれのオバサンに辟易しながらも、心のどこかではシンクロニシティや因果応報などを信じる運命論者的な側面を見せる。このあたりを、アンリ・カルティエ=ブレッソンの作品を通じて語るのだが、なかなか巧みで「ヤラレタ」と思った。スピリチュアルとはニンゲンの想像力が真理を増幅させゆがませてしまったモノにほかならない、そもそも運命論や精神世界を特別扱いすること自体に問題がある、と作者は言っているような気がする。

 一枚の写真に、無数の相似形が見いだせるという、偶然の神秘。ニヒリストならばこう云うであろう----人生とはつかみ取った無意味に意味を付加することに他ならぬ、と。だが、オプティミストの私はあえて云おう----奇跡など、いまやありふれたものである。