わたしが猫に蹴っとばされる理由

文学・芸術・哲学・思想の読書&鑑賞日記が中心ですが、雑食系なのでいろいろ取り上げてます。猫もいるよ♡

するべきことをこなしつづけるうちに

 心が亡い、と書いて忙。忙しい状態というのは心をなくすということだ、なんてことはあっちゃこっちゃで散々言われているからぼくがさらにソイツを重ねる必要はないのだが、重ねる。心が亡いとは、どういうことか。周囲に振り回された挙げ句に自分の意見だの主義主張だのを失ってしまった状態、というのは容易に想像がつく。心のゆとりや遊び心のない状態、これもわかりやすい。では、無我の境地というのはどうか。坊さんだの瞑想修行する精神世界のなんちゃらかんちゃらだの、その世界の人々には極めてわかりやすいだろう。が、彼らは瞑想することで無我に達する。すなわち、心を空にしよう空にしようと心がけ努力することで実際に空にするわけで、その過程を「忙しい」と言っていいものかどうか。逆に、忙しすぎてあれやこれやとするべきことをこなしつづけるうちに、いつの間にやら無我に達するということもあるのではないか、と最近ちょくちょく考えるようになった。もっとも、仕事仕事で悟りが開けるようなら、日本には聖人が溢れていることになる。忙しさとは環境のことだ。環境だけでは、人は悟れぬということか。
 六時起床。曇り。雪が降ると天気予報で散々おどされているのだが、二十三時を回った今も、雪が降る気配はまったくない。窓を開けると聞こえるのは、しんしんと微かに響く雪の舞う音ではなく、サアサアと小さく散るようになる雨音だ。
 仕事。某不動産会社会社案内、某リサイクル事業者パンフなど。電話の多い一日。午前中はなりっぱなしだった。午後からは、間違いFAXに悩まされた。どこぞのFAX DM業者が送りつづけているのだろうか。
 夕方、ちょっとだけ散歩。「DMC」の最新刊とひなあられを買った。ひなあられは、近所の手焼きで丁寧につくっているせんべい職人のじいちゃんの店の。奇跡的に軽い口当たり。これぞ職人技。