わたしが猫に蹴っとばされる理由

文学・芸術・哲学・思想の読書&鑑賞日記が中心ですが、雑食系なのでいろいろ取り上げてます。猫もいるよ♡

古井由吉『やすらい花』

瓦礫の陰に」。焼け野原で道に迷う女性。彼女を案内する男性。二人は互いの素性も知らぬまま、瓦礫の陰で交わってしまう。交わりのあとで、男は女性が、大空襲の最中に病気だった夫をなくしたことを知る。後日、男は彼女にもう一度会おうと毎日のように瓦礫の中を彷徨いはじめるが、会えるはずもない。そしてふたたび、空襲が彼の住む街を襲う。
「色気」もまた古井さんの重要なテーマなのだが、その裏側には必ず「死」の影が宿っている。色気と死は切っても切れない関係にあるのではないか。そんなことを考えさせる箇所、ちょっと長いけど引用。

 死者となってその妻を抱いていた、と考えればいまさらすくみそうになった。しかし、怪しむ自身、何者だと言うのか。敷地の境が失せて、時間の前後も自他の別もゆるんだ中で、死者を隔てる境界もまだしっかりとは締まっていない。女は死者をおそらく満足には送れなかった。自分は送るべき縁者も持たないが、今の無事に驚く時、円上に至るまでの夜々にこそ、人は平穏を恃みながら、死相のような翳を目もとに溜めていたように思われる。その翳の引いた跡の、まだ定まらぬ顔には、機に触れれば、無縁の面相でも乗り移ってくる。男の目に違った女が同じ面相をあらわすなら、女にとっても、戻ってくるはずもない男に、たそがれが俄に降りたように、焼跡で再会するということはある。男はは女に見つめられるままに、女の目に映る面相になる。それに照らされて女もまた、境を越えて、面変わりしていく。お互いに死者になった男女が交わった。しかし、抱かれるべき男に抱かれている女の体だった。

やすらい花

やすらい花

古井由吉の作品はこちら。