わたしが猫に蹴っとばされる理由

文学・芸術・哲学・思想の読書&鑑賞日記が中心ですが、雑食系なのでいろいろ取り上げてます。猫もいるよ♡

吉祥寺へ

 五時四十分起床。昨日は21km走ったので、少し疲れている。だが寝坊するほどではない。

 成人の日。自分の成人式は三十年以上も前のことなのだと気づき、ジジイになったことを実感する。

 午後、妻と吉祥寺へ。弁財天をお参りしてから、ヨドバシカメラで妻のプリント用紙を購入。家電売り場でアイロンを物色するも、いいかな、と思ったティファールのコードレスタイプが品切れのようだったので購入せず。帰宅後にネットで購入することにした。スチームたっぷり、セラミックコーティングですべりがよく、おまけに軽量。1200Wだからおそらくパワーも問題ないと踏んだ。

 

 

 

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 帰宅後は牛すね肉を圧力鍋で煮込んでビーフシチューをつくった。

 

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 田村正資「あいまいな世界の愛し方(1) 無関心の反対は」(「群像」2025年1月号)。学問的な枠を取り払った上での、メルロ=ポンティ現象学論。「私たち(人間)があいまいな仕方で、あいまいな世界に寄りかかって生きているその在り方について」が今後展開されるようだ。少し引用。

 

 現象学とは、自分と世界のあいだで生じる経験という出来事を対象にした学問だ。それが学問になるのは、経験という出来事が単に「私+世界」という足し合わせではなくて、私と世界のあいだの複雑な掛け算、関数のようになっているからだと思う。それがどんな関数なのかを解明することが学問としての目的なのだけれど、その過程で私たち一人ひとりに副残物をくれる。「私たちは決して世界に対して無関心ではいられない。つねになんらかの関心=問いとして世界に存在してしまっている」というメッセージだ。私の経験は、私抜きでは語れない私のものだ。私の経験から私を引き算することはできない。私たちは無関心の対極にある存在だということを、現象学は教えてくれる。私たち胃は無関心の反対としてこの世界に臨んでいるのだ。