わたしが猫に蹴っとばされる理由

文学・芸術・哲学・思想の読書&鑑賞日記が中心ですが、雑食系なのでいろいろ取り上げてます。猫もいるよ♡

葬儀の日

 六時起床。昨夜はヤシマ作戦参加のつもりで二十二時に消灯してしまったから、八時間寝たことになる。こんなに寝たのは体調を崩したときを除くとここ数年ではじめてかもしれない。最大六時間、だいたい五時間台が多かったからなあ。疲れは取れたような気がするが、寝過ぎで頭痛がする。ここ数年顕著な傾向。実はこれがイヤで、意識して睡眠時間を短くしている。
 朝、母と電話。東武日光線が復旧し平常運転をはじめたようなので、移動中がちょっとコワイが、祖母の葬儀に参列することにした。大慌てで支度し、十時に出発。中央線、湘南新宿ライン宇都宮線)、東武日光線と乗り継ぐ。JRにダイヤの乱れはなし。ただし接続が悪いのとホームでの人の落下が原因で東武線が遅れ、栗橋で三十分近く待つ。このあたりは埼玉、茨城、群馬、栃木の県境が複雑に入り組んでいる。じっくり観察したわけではないが、地震の被害はほとんどなさそう。古い家屋の瓦屋根が崩落している程度。農家のビニールハウスも崩れた様子はない。茶色く乾いた農耕地がひたすら広がっている。ゴールデンウィークごろになれば水が張られ、稲が植えられるのだと思う。白菜だろうか、畑で農作業をしている人がちらほらと。JR、日光線の車内で仕事。
 十二時すぎ、藤岡駅着。静かな田舎駅。タクシーで斎場に向かう。若干早かったようで、火葬場にいる親族たちより早く着いてしまった。十三時ごろ、両親と合流。二十年ぶりくらいで従兄弟たちとも再会。面影があるようなないような。
 ばーちゃん、大正元年生まれで享年九十八歳。子五人、うち唯一の男だった長男を三十年くらい前に亡くしている。孫十五人、ひ孫二十四人。戦前は松屋デパートでデパガをやっていたそうだが、退職して農家に嫁いだ。十年以上、長男の息子(次男)と二人暮らしだった。ここ一年はアルツハイマーが進行。初期は子どもたちのうち一人だけ記憶から抜け落ちてしまっていた。半年くらい前から足が悪くなり、要介護に。介護が可能な状況にあったウチの実家と幸手にあるもう一軒、二軒を一カ月ごとに転々とする日々を過ごしていたが、素人の限界を超えてしまったようで、デイサービスのお世話になりはじめた。最後の二十日間は老衰が進行して寝たきりとなり、大地震が起きる前、その日の未明に病院で息を引き取った。関東大震災と太平洋戦争を経験しているが、今回の震災は知らずに旅立った。
 知らなかったのだが、母が介護疲れで二度も倒れ、点滴のお世話になっていたのだという。ばーちゃんも、オフクロも、そしてオヤジも、おばさんたちも、みんなお疲れさま。そう思った。悲しみはない。よくがんばったね、という、褒めたたえたいという気持ちのほうがはるかに強い。
 葬儀中は何度か余震で揺れた。誰も慌てる様子はなかった。
 葬儀後の精進落としのふるまいは遠慮し、東京にとんぼ帰り。東武線はほぼ時刻表通り。今度はJRが遅れていた。帰りの車内でも仕事。
 十七時、帰宅。どひゃっと疲れた。頭痛もひどい。十八時から二時間も寝てしまう。
 計画停電の詳細が発表された。
 そう言えば、しばらくまともに本を読んでいない。そろそろ、また読みはじめよう。
 
 東京に住むぼくよりももっとひどい被災地の皆さんの、一日も早い復興、恢復、そして社会復帰をお祈りいたします。