「群像」8月号掲載。一気に読んでしまった。
連作短編の最終話は私小説的な内容。三月の地震の被害と重ね合わせるように辿られる、太平洋戦争末期の東京での空襲からの避難、焼け跡での生活、疎開の記憶。戦争体験は古井さんの作品の柱の一つだが、この短編で一つの到達点に達したのではないか。そう思えた。
気になった部分を引用。現代の震災と過去の空襲被害、その接点と違いが、心に直接響いてくる。
背後を見れば、ついさっきまで有ったはずのものがことごとく無くなっている。それあかりか、うかつに振り向けば、のがれてきたばかりのものに呑みこまれそうな恐怖に、追いつかれかねない。そして目の前には、劣らず不可解にも、日常がある。目の前に、手もとに、何かがある。これすら、なんでこんなものがまだあるのか、と不思議に眺めてしまいそうになるが、手もとにあれば手に取って、甲斐があろうとなかろうと、何かを始める。すでに日常である。何にもならないと思いながらやっているうちにも、時刻は移る。近年の世間で濫用される「前向き」とはおよそ心は違うが、さしあたり先は見えなくても、前を向いて暮らすより他にない。しかし前方にも背後がひそんでいて、いつ陰惨な顔をこちらへのぞかせるかしれない。
「前方にも背後がひそんでいて」……。これは絶望から這い出す体験をしたものにしかできない表現かもしれないなあ。
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