わたしが猫に蹴っとばされる理由

文学・芸術・哲学・思想の読書&鑑賞日記が中心ですが、雑食系なのでいろいろ取り上げてます。猫もいるよ♡

ルハルト・ケップフ『フクロウの眼』読了

 生まれも育ちも架空の村トゥルゼルンで、重度の不眠症で生まれてこのかた、目を閉じたことがないという郵便配達夫が、おそらくは眠れぬ夜のなかで、自分の生涯を振り返りつつ、郵便配達夫として自分が配達する郵便物をこっそり読むことで知った他人の記憶やメッセージを紹介する…という奇妙な設定。とにかく奇妙キテレツ、というほかにない作品。チュツオーラやルーセルの上を行く珍妙さかもしれない。
 郵便配達夫として他者の郵便物を読んでしまい、その内容はすべて記憶しているが、絶対にそれを他言しない、という設定が、この作品の核になっている。配達夫自身にとっては、他者の手紙の内容や空想や虚構の世界ではあるが、受取人にとってはまぎれもない現実なのだろう。配達夫は手紙を虚構世界をさまよいながら遊ぶかのように、それらを読んでゆく。しかし最終章だけは違っている。自分の妄想の中で、恋人に宛てた手紙の断片が紹介されているのだ。手紙を受け取るのは恋人なのだろうが、残念ながらその手紙は紙飛行機として飛ばされ、恋人に届くかはわからない。そしてその恋人とは、本当に存在する人物なのかも(作品を読むかぎりは)よくわからない。そして、彼が恋人に手紙を出すという行為は、同時に自分自身にメッセージを贈るという行為でもあるのだ。妄想の世界で他者と自分、両方に同時に送られた手紙…。それを受け取るのは、妄想世界の恋人でも自分でもない。まぎれもない、現実世界の自分自身なのだ。その、たくましさとともに、迷いながらも主人公は生きるのだ。トゥルゼルンの郵便配達夫として。
 小説という表現にケムにまかれるように、ふりまわされるように、読書をしたい。読書で、「なんだこれは?」という疑問を感じつづけていたい…そんな欲求を満たせる、数少ない作品だと思う。入手しにくい本だが、変な読書体験をしたい人にはぜひ読んでいただきたい。

ふくろうの眼 (文学の冒険)

ふくろうの眼 (文学の冒険)

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