国家理性の誕生、そして近世絵画との連関。
ベラスケスの描いた「ラス・メニーナス」、そしてフェルメールの「絵画芸術」という作品に何重にも仕込まれた自意識的な作意、あるいは寓意。フェルメールのほうはベラスケスほどトリッキーではないのだが。これらの作品に如実に表れた、画家の「オレ自身を描きてえ」願望が、近代絵画の成立へと結実していく、って解釈でいいのかな。で、芸術におけるこの動きと、この連載でこれまで掘り下げ続けてきた「王の二つの身体」論は重なりあっていく。この傾向は、タブローという宗教画の形式にも見て取れる。
政治、思想、宗教、芸術の四つは、特に西欧においては互いに強烈な影響を与えあいながら近代化へと突き進んでいく。この流れは、個人的にはとてもおもしろい。現代にもほぼおなじことがいえるはずなのだけれど、要素が多すぎるのと動きのスピードが速すぎたりめちゃくちゃすぎたりして、より複雑な構造になっているのだろうなあ。