「群像」2017年4月号掲載。
仏教の本覚思想と文学の関連性、そしてブレイク、ヘルダーリン、ヘッセといった自然と同一するような描写の多く見られる詩人たちの作品と傾向から、著者は言語の身体性、視覚性、そして見るという行為に潜む対象との自己同一化のような支配欲のようなもの、などをフックに、言語=考えるという行為の孤独性を、そして文学という行為(すべての芸術がそうなのだろうが)に潜む、作品を観賞する人たちに自分と同じ視覚や思考を強要したい(≒共有したい、共感してほしい)という欲望について考えを展開する、と思いきや、また内容は本覚思想の分析に。
時折、詩や一部の小説を読んでいる時に感じる独りよがり感は、作者の孤独と作者の視覚、そして作者の感性の、読者への押し売りのような態度が文体から読み取れてしまうからなんだろうなあ、と考えてみたり…。