わたしが猫に蹴っとばされる理由

文学・芸術・哲学・思想の読書&鑑賞日記が中心ですが、雑食系なのでいろいろ取り上げてます。猫もいるよ♡

雀の神殿

 六時起床。冷え込んでいるがすっきりと晴れた心地よい朝。寒くなければ。冬でなければ。暖房を使わずにすむのであれば。
 身支度をし、朝から騒いだりわがままを言ったりゴハンをねだったりとさわがしい動物たちの面倒を見てから掃除。そして、大晦日に仕込んでおいたローストビーフをフライパンで一気に焼いて仕上げる。わが家のローストビーフはオーブンやグリルは使わない。
 十時過ぎ、カミサンと家を出る。実家のある古河へ。年々電車の混雑度合いがひどくなっている。今年はとうとう、一時間三十分間、まったく座れなかった。
 しばらくおせちをつまみながら雑談。その後、カミサンと雀神社まで歩く。両親は遠いから自転車に乗っていけだのクルマで送るだの行っていたが、三十分ほどで着いた。祭神は大己貴、すなわち大国主。発祥はまったくわからないらしいが、歴史は千年以上ある。神殿の古さと荘厳な森の雰囲気に酔いしれながら参拝。ついでに土手沿いを少し歩く。ふきっさらし、枯れ草だらけのゴルフ場のうねった地面が、呼吸する生き物のように見えた。さらに少し歩くと、足尾鉱毒事件の田中正造の記念碑が建っているのを見つけた。この地には水俣のような深い悲しみがあるはずなのに、ほぼ誰もがそれを忘れている、ように思える。消えていく問題意識、ととらえると大切なものを失ってしまっているように思えるが、悲しみを忘れた、と解釈すれば、これはいいことなのかもしれない。



 実家に戻り、お雑煮をいただいてから帰路につく。帰りもほとんど座ることができず。