わたしが猫に蹴っとばされる理由

文学・芸術・哲学・思想の読書&鑑賞日記が中心ですが、雑食系なのでいろいろ取り上げてます。猫もいるよ♡

西荻の春一番

 六時三十分起床。二時三十分、三時と二度も花子に起こされ、二回目の起きてよ攻撃では小一時間要望に応じて遊んだりゴハンを与えたりしていたというのに、目覚めは意外にも爽快である。昨日一日中寝ていたのがよかったか。風邪は幾分残っているような気もするが、喉の痛みや鼻水はずいぶん収まり、これならふつうに生活できる。ふつうに仕事もできる。頭痛が若干残っており、後頭部がズワンと重たいのだけが気になるが、細かなことにいつまでも囚われていたら恢復できないのかもしれない。頭痛が爽快感をわずかに濁らせているが、逆に言えば爽快感が頭痛を鈍らせているのかもしれない。よくわからん。割り切ってチャキチャキと身支度する。
 春一番が吹いたようだ。気温も十七度まで上がったようだが、昼間のうちは書斎にこもって仕事をしていたので、これまたよくわからん。風の音も聞こえなかった。ただ、暖かな陽気だけはよくわかる。西側に位置する書斎の窓にはまるで陽は射さないのだが、あたりから反射した鈍い光でも部屋に届けば明るくなるし、空気も暖まる。しばらく窓を開けて仕事した。そうか、窓を開けたなら風くらい感じられるのではないか。西荻窪には春一番は吹き荒れなかったか。
 春一番、といえばアントニオ猪木の物まねをする芸人を思い出す。どうでもいいことだが。
 夕方は外出。風はやんでいるがぬるったい空気はまだよどんだままのようだ。厚い雲に覆われた空からは、春らしさはまるでうかがえない。
 十七時、赤羽橋のT社で打ち合わせ。二十時三十分、帰社/帰宅。帰りの電車の中でコミさんの『アメン父』を読んでいたら、七十代か、いや八十代だろうか、遠近両用メガネをかけ、薄い白髪頭をポマードで几帳面に七三分けにしたずんぐりむっくり体形の男性に、何度も本を覗き込まれた。ページには「キリスト教」とか「神」とか「神父」とか「宗教」といった言葉が頻繁に登場する。ジジイ、この言葉に反応したのか。それともコミさんのファンなのか。ひょっとしたらコミさんと同年代かもしれない。コミさんはとっくにあの世に行っているが。
西遊記」を見ながら夕食。
 十二時過ぎ、日記を書いているこの時間になると書斎の窓は結露で、サウナでガマンしているオッサンの肌のようになるのだが、今夜は一滴も水が付いていない。