わたしが猫に蹴っとばされる理由

文学・芸術・哲学・思想の読書&鑑賞日記が中心ですが、雑食系なのでいろいろ取り上げてます。猫もいるよ♡

町田康『告白』

 熊次郎を殺した熊太郎。その家族もつぎつぎと手にかける。殺されるものはみな恐怖に口が聞けない。ただひとり、熊太郎だけが冷静に自分の状況を分析し、そしてあたかも他人の口を借りているかのような口調でひとりつぶやく。引用。

「思弁と言語と世界が虚無において直列している世界では、とりかえしということがついてしまってはならない。考えてみれば俺はこれまでの人生のいろんな局面でこここそが取り返しのつかない、引き返し不能地点だ、と思っていた。ところがそんなことは全然なく、いまから考えるとあれらの地点は楽勝で引き返すことのできる地点だった。ということがいま俺をこの状況に追い込んだ。つまりあれらの地点が本当に引き返し不能の地点であれば俺はそこできちんと虚無に直列して滅亡していたのだ。ということはこんなことをしないですんだということで、俺はいま正義を行っているがこの正義を真の正義とするためには、俺はここをこそ引き返し不能地点にしなければならない」

 そしてついに嫁までブチ殺してしまう熊太郎。自分は嫁を通じて神仏に試されている、そんな思い込みをもっていた熊だが、嫁が殺されそうになったときに姦通していた寅吉の名を叫んだとき、自分は試されていたわけではなく、ただ単にこの女が淫乱であっただけなのだと今さらながらに気づく。気づきの遅れ。時間の差が生み出す悲劇。いや、これは悲劇ではないか。河内十人斬りは英雄譚的な側面がある。