わたしが猫に蹴っとばされる理由

文学・芸術・哲学・思想の読書&鑑賞日記が中心ですが、雑食系なのでいろいろ取り上げてます。猫もいるよ♡

古井由吉『聖耳』読了

 古井氏の他の作品に比べて詩的な感じが強いのは、視覚に異常が生じ大きな手術を経てようやく視力を取り戻した語り手(おそらくは作者)が、眼ではなく耳で、自分を取り巻く世界を読み取ろうとしているからか。言葉は、文字と音とで感じ方が微妙に異なる。それを巧みに操るのが詩人である。本作も他の作品同様、古井氏らしい、音読なんてとてもしたくないような難しい文脈と表現がつづく。だが、ふと音が頭の中に沸き起こってくる感がある。オノマトペなどほとんど使っていないのに、音が聞こえる。あるいは、突然周囲から音が消える。いや、音が消えた状態が「聞こえてくる」「耳で感じられる」。
 感覚を研ぎ澄ますことで、見えなかった世界が聞こえるようになる。あるいは聞こえない世界をつうじて世界が見えてくる。本作は、そんなことを描きたかったのかもしれない。