わたしが猫に蹴っとばされる理由

文学・芸術・哲学・思想の読書&鑑賞日記が中心ですが、雑食系なのでいろいろ取り上げてます。猫もいるよ♡

渾沌転じて清浄へ

 十時起床。昨日の日記にも書いたが狭い部屋、狭い視野で同じことばかりを考えつづける日が長すぎたのか、かなり疲れていたようで、九時まではまるで目が覚めなかった。
 午前中は掃除。猫が二匹もいるせいか、油断していると部屋のあちこちが埃だらけになる。生来神経質なせいか、掃除は嫌いではない。むしろ部屋が片づき清められていく様には快感すら覚える。問題は、その逆の、部屋が渾沌としはじめなにがなんだかわからない状態へと向かう様にも快感を覚えてしまうことだ。だが、それが突然、不快感へと転ずる。そこで掃除への、いや清浄への欲求が生じる。だから、わが家が常に片づいているということは、ない。
 清浄という言葉は、正常とどこかでつながっているのではないか、とふと思う。音がおなじ、というところにひっかかる。ダジャレと笑い飛ばせば済むかもしれぬが、そうならないのがモノ書きのメンドくさい習性だ(ぼくだけかもしれぬが)。清浄こそが正常な状態だとすれば、ケガレ、渾沌の状態は異常だということか。世界は渾沌から生まれたという神話もある。だとすれば、世界のはじまりは異常であり、神とは異常を創造し、異常から正常へ、ケガレから清浄へと世界を導く存在、ということになるか。うーん、アタマがこんがらがってきた。
 午後は風呂のカビ取り。「カビ取りハイターストロング」を使って壁タイルの目地のカビを徹底的に落とす。長時間作業しているとカルキくさいニオイでむせてくる。
 つづいてリビングの窓の網戸の張り替え。麦次郎が網戸でツメトギするので、細かな格子目だった網が、ところどころに大きな穴が開いてしまっている。このマンションに越して十年、一度も張り替えていないのだから、そろそろするべきなのだろう。作業は意外に簡単だ。しかし網を固定するのに使うゴムヒモが足らなくなってしまい、二枚ある網戸のうち、一枚しか作業ができなかった。つづきは来週末だな。
 夕食後、本でも読もうと思ったが疲れてしまいまともに活字を目で追えない。しばらくは岡野玲子の「陰陽師」を読んでいたが、ストーリィにおもしろさを感じつつも目を使うことが辛くなったので、目を閉じ、ヘッドホンで延々音楽を聴きつづけた。何度か意識が落ちた。それでいいんだと思う。