わたしが猫に蹴っとばされる理由

文学・芸術・哲学・思想の読書&鑑賞日記が中心ですが、雑食系なのでいろいろ取り上げてます。猫もいるよ♡

高橋たか子『墓の話』

 第二話読了。クロードがなぜ、女性(のようでもあり、若い男のようでもある)の頭を掲げた自分の像で自分の墓をつくったのかを、その妻であるジャンヌ・マリ(の霊)が語る。なぜ作者は墓にこだわるのだろう。この章の最後を作者は以下のように締めくくっているが、この文章からは墓にこだわる理由が今ひとつ具体的に見えてこない。

 私は、墓は(「墓が」ではない…引用者注)好きだ、と思った。一生が終わってしまった人たちがいるから。その人の一生が終わらぬ限り、その人という全体は見えてこないのだから。そんな、その人、その人。死んでこそ、わかることのできる、そんな人たち。

 作者はあたりまえのことを言っている。だが、これを墓から読み取ることがどれくらい可能なのだろうか。クロードのようなユニークな墓をつくらぬ限り、墓から人生はなかなか見えない。
 墓を形式的に捉えてはいけないのかな、この場合は。そもそも、墓とは何なのだろう。
 よくわからん。