わたしが猫に蹴っとばされる理由

文学・芸術・哲学・思想の読書&鑑賞日記が中心ですが、雑食系なのでいろいろ取り上げてます。猫もいるよ♡

東西狂言の会(三鷹公会堂)

 毎年、暮れになると野村家・茂山家の東西狂言一族が三鷹に集まり、より多くの方に古典芸能である狂言を親しんでもらうために、こうした会を開いている。ぼくが観に行くのは、今年で二回目。
 冒頭に我らが狂言サイボーグ、野村萬斎氏が軽〜い文化人的なニオイプンプンのギャグを織り交ぜた演目解説を行ってから、中学生くらいの若い子の小舞をはさんで三つの演目が披露された。
 去年も書いたことだが、狂言とはすなわちコントである。日本人の笑いのツボは古来から同じ、ちっとも変わっていないじゃないか、と感心する一方で、笑いの舞台を形式化することで、エンターテイメントを文化としてしっかり根づかせることができるという「形式化のチカラ」のようなものをひしひしと感じさせられた。
http://www.mansaku.co.jp/
http://www.soja.gr.jp/index.html

  • 痩松(野村万之介/深田博治):山賊が、襲った女に得物の長刀を奪われ、逆に追い剥ぎされてしまうというなんとも情けない話。「痩松」とは山賊が景気の悪い状態を指す言葉らしい。反対語は「肥松」。
  • 察化(茂山千作茂山宗彦/茂山七五三):主人に、連歌の宗匠を頼みたいから都から伯父を呼んでこい、と頼まれた太郎冠者は、伯父の住所も容姿も聞かぬまま都に向かい、すっぱ(詐欺師)を連れて帰ってくる。主人は恐ろしい詐欺師を怒らせてはマズイ、丁重にもてなしてお帰りいただけ、といいつけるが、太郎冠者のふるまいはどんどん状況を悪化させる(のかな? 相手が詐欺師なのだから、むしろ好転しているような…)。落語で言えば、太郎冠者は与太郎のようなものか。漫才で言えば絶妙なボケ役、主人が機転の利くツッコミである。トリオ形式のコントの原形だ、と思ってしまった。
  • 宗論(野村万作野村萬斎/竹山悠樹):旅の途中で浄土僧と日蓮僧が鉢合わせし、そのまま激しい宗教論を闘わせることになる…と書くと高尚な感じだが、実は激しいダブル・ボケによる派閥化した仏教への痛烈な批判、コキオロシである。