「眉雨」。語り手の主人公らしき男は、通りがかりのホテルで入ったトイレの中でなぜか戦国時代だろうか、戦場で耳を澄まし敵の様子をうかがっているという幻想を体験する。すごいのは、その描写がさっぱりわからん、ということ。情景は目に浮かぶのだが、実際のところこんな状況が本当にあり得るのか。時間も場所も特定できぬような世界、その不可解さが幻視の幻想性、不可解性をより強調している。わけのわからないことを、わけのわからぬままに書くという技巧、というか。
ちょっと気になった部分、引用。何を訴えているのかはよくわからないのだが。
何事か、陰惨なことが為されつつある。人を震わすことが起こりつつある。
あるいは、すでに為された、すでに起こった。
過去が未来へ押し出そうとする。そして何事もない、何事のあった覚えもない。ただ現在が逼迫する。
逆もあるだろう。現在をいやが上にも逼迫させることによって、過去を招き寄せる。なかった過去まで寄せて、濃い覚えに煮つめる。そして未来へ繋げる。未来を繋ぐ。一寸先かも知れぬ未来を、過去の熟知に融合させようとする。吉にしても凶にしても、覚えがなくてはならない。熟知の熱狂が未来をつつみこむまで、太鼓を打ちつづけさせる。雨の降り出したのは、もうすぐ手前の兆しだ。
- 作者: 古井由吉,大杉重男
- 出版社/メーカー: 講談社
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