わたしが猫に蹴っとばされる理由

文学・芸術・哲学・思想の読書&鑑賞日記が中心ですが、雑食系なのでいろいろ取り上げてます。猫もいるよ♡

洪水の記憶、台風の記憶

 夜中、三時頃だろうか。入り乱れながら激しく響く風の音と雨音に眠っているはずの意識がふと向かい、気づけば猫たちが落ち着かぬ様子でにゃあにゃあと鳴きながら部屋を行ったり来たりしている。玄関から外に出て、マンションの裏手を流れる善福寺川を見てみる。台風の豪雨で急増した水位に圧倒される。あと数十センチで決壊。三年前だったか、この川がゲリラ豪雨で洪水となり、マンションの一階が床上浸水したときのことを思い出す。これ以上水が入らないようにするために作業したり、水圧が邪魔をして開かなくなってしまったドアを無理やり開けようとしたがかなわず、窓から部屋に閉じ込められた人たちを助け上げたり、とあれこれ苦労した記憶がよみがえり、眠れなくなってしまった。自分の家が浸水したわけではないというのに、トラウマのようになっていたことに今さらながら気づいた。うつらうつらとしてははっと目覚める、メリハリはないがそれでいて妙な緊張感だけはある眠りのローテーションの中で、何度も何度も、マンションのエントランスで土嚢を積み上げる夢を見た。
 六時、ちゃんと起床。台風はこれから接近、とテレビで報じている。
 アスファルトやマンションの壁面を打ちつづける雨音をBGMに仕事をはじめる。雨音は何度か強まったり弱まったりを繰り返していたが、やがて風音のほうが強くなり、ビュウウ、と低く、時に高い音で唸るさまに自然界に存在する音の豊かさなんぞを呑気にも感じつつ一方で、いやはやコイツはすげえなあ、とただたた弾順に驚いてもいたのだが、そうこうするうちに雨は止み、空には青空が広がりはじめた。だがまだ風は強い。台風は、過ぎれば雨こそ止むが強風はしばらくのうちはつづく。
 午後より打ち合わせのために外出。台風が開花を促したのか、街のあちこちでキンモクセイの香りが漂っていた。強風に煽られているせいか、香りはさほど濃くはない。キンモクセイは無風状態のほうが似合うなあ、などと独り言をつぶやきながら駅へと向かった。雲が切れていた。空が高く見えた。秋空だ、と思った。だが気温は残暑のように高い。強い風、熱い気温、高い空、キンモクセイの香り。ひとつずつ追っていくと、季節が不明になってくる。
 十五時過ぎ、帰社/帰宅。
 十八時過ぎに散歩に出かけた。雲のない墨色の空に、小さな星たちが、数こそは少ないが、そして光も決して強くはないが、冬空のような透明感で、きらきらと瞬きつづけていた。