第十三章「マクベス問題」。タイトルの意味は、《木下順二さんが、「こういうことはそういうふうにお考えになってはだめ。お互いが気違いになってしまう。」と訳されている、マクベス夫人の台詞のような、問題》のことだそうだ。
アカリとの関係が少しずつ恢復しはじめ、癌で入院した妻の千樫は無事手術を終えて退院し、千樫に付き添っていた妹・アサは谷間の森に帰ってくる。古義人の周辺が急速的に変わりつつあるなか、古義人、アサ、ウナイコは、古義人が脚本を書いたがお蔵入りになってしまった映画『メイスケ母出陣』の舞台を見に出かけるが、そこで映画にあったメイスケ母が強姦されるシーンを舞台で再現することに反対する教育者たちと偶然でくわしてしまう。強姦を「レイプ」という言葉に置き換えて話す、と前置きをし、レイプシーンをやめるよう説得しようとする彼らに対して発したウナイコの台詞が真っ当で、実に気持ちよかったので引用。
--まずひとつ、強姦という言葉は強すぎるからとレイプに言い換えられましたが、その言葉が実際に使われる場所で、たとえばアメリカの南部で、黒人の娘がrapeされるというとして、それはrapeされた娘にとってそれこそ露骨な言葉でしょう。日本人が強姦をrapeと言い換えることで、どのように事態が変わりますか? (中略)強姦される娘は酷たらしさ悲しさをまぬがれないし、強姦した男は、どんなゴマカシようもない強姦犯です。(中略)まず強姦という言葉に正面から向きあってもらいたい。わたしらの芝居を見る男子中・高生が、みな強姦人間の予備軍だとはいいませんよ。しかし、女子中・高生はひとり残らず、強姦される危険にさらされているんです。あなたは「メイスケ母」がrapeされた、その酷たらしい悲しい経験を間接的に示すことができるはず、といわれました。しかし、わたしたちが演技で表現するのは、「メイスケ母」がいま現実に強姦されている、強姦はいま現実の、きみたちの問題なんだと突きつけることなんです。(中略)「メイスケ母」は、強姦されたまま、いまも強姦されたまま、いまも強姦されてるんだ、とその恐ろしいことそのものを、表現するんです。
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