寅吉による姦通事件。怒り狂った熊太郎は、近所を回っていた獅子舞の若者から獅子頭を奪い、それをかぶって寅吉に襲いかかる。ちょっと引用。
熊太郎の目は獅子頭の内側と世間を半々に見ていた。
獅子頭の内側で熊太郎は誰にも気づかれずに暗闇に蹲って笑ったり怯えたりする世間の様子を覗き見ているような気がしていた。しかし、その世間は獅子である熊太郎をみて笑ったり怯えたりしているのであり、熊太郎はけっして傍観者などではなく、当事者張本人なのであった。
獅子頭をかぶる熊太郎は、自分と世間との間に埋めがたい断絶があることに気づく。
確かに獅子頭の内側は闇で外は明るい。その闇に阻まれて俺自身と獅子がひとつながりにならないのかも知れない。けれども俺はいつもこんな闇を意識していた。俺の支弁は闇に遮られて言葉につながらない。俺の思いは闇に閉じこめられて光の中に放たれることはない。つまり俺はずっと獅子頭の中にいて内側の病み、内側の虚無を見て生きてきたのだ。北野田。ところが光しか見ないものには、俺がそんな闇や虚無を見ているとは知らないから、俺が暴れ狂うのは、ただ暴れ狂いたいから暴れ狂っているのだと思って俺を馬鹿にしている。違う! 俺が暴れ狂うのはそのような内側の虚無が絶えず視界に入って人間としていたたまれないから暴れ狂うのだ。咆哮するのだ。
うおお。