わたしが猫に蹴っとばされる理由

文学・芸術・哲学・思想の読書&鑑賞日記が中心ですが、雑食系なのでいろいろ取り上げてます。猫もいるよ♡

富岡多恵子『動物の葬禮|はつむかし』

「はつむかし」読了。とんでもない作品。終戦直後のこと、元士官だった夫を持つ主人公は、茶の湯にのめりこみ茶道具のために家を抵当に入れてしまった道楽亭主に生活の不安を感じながらも生活をともにしつづける。しかし夫はある日家から消えてしまう。生活を捨てて京都の小さな一軒家で貧しい自給自足生活をしているという。とうとう家を手放すことになり、妻は家族そろって夫の家に移り住むことを伝えに、子どもとともに夫のもとへと出かける。夫はそれを了承するが、子どもが見ている前で妻と交わろうとする、まるで強姦でもするかのように。だが、家族がふたたび一緒になってからは、そんなことはなかったかのように生活がはじまる……そんな物語だ。夫であること、父であることを放棄した(いや、資格をなくした)男をもった妻の苦難を淡々と綴った作品であるが、裏返せばこれは、未来を失った男の物語だ。どこかで大宰の「トカトントン」にも通じるところがあると思う。「はつむかし」では、男は終戦=日本的価値の崩壊によってとんでもない虚無を己の中に自覚してしまい、それをなんとか埋め合わせようとする。しかし、どんなに道楽にのめりこんでもそれは埋められないのだ。だから男は家族と生活を捨てる。しかし、ふたたび父に戻らなければならないときがくる。すでに時代は変わっている。子どもの目の前で妻に襲いかかる夫の姿は、その決意証明なのかもしれない。最後の、そして最大の「埋め合わせ」なのだ。