わたしが猫に蹴っとばされる理由

文学・芸術・哲学・思想の読書&鑑賞日記が中心ですが、雑食系なのでいろいろ取り上げてます。猫もいるよ♡

キリストの腰痛と、他人のストレスがイヤな猫

 七時起床。昨夜はちょっと深めに呼吸するだけで背中が激しく痛んだが、湿布薬とアイスノンでの冷却が効いたのか、今日はさほどつらくはない。坐骨神経痛もかなり快方に向かっている。が、油断はできない。とにかく心にゆとりをもつことが大切。イラつけば、それは全部痛みになって返ってくる。
 イエス・キリストはクソ重たい十字架を背負ってゴルゴタの丘を登った後、腰痛になったりしなかったのだろうか。磔の苦しみのほうが勝ったか。ならば、ぼくの痛みなんてすかしっ屁みたいなもんだ。
 某生命保険会社のパンフレットの、昨夜やりこぼした分を作業する。さほど痛まないせいか効率はいい。夜までかかると思っていたが、午後早めに片づけることができた。
 十六時より、麻布十番で打ち合わせ。ダブダブの制服を着た、まだチン毛の生えてなさそうな、つるっとした顔の新中学生を何人か見かけた。
 十八時、帰社/帰宅。電話で重たい打ち合わせを二発。ここ数日取り組みつづけ、ようやく手離れした生保と不動産会社に追加作業が発生。かなりピリピリした気分になっていたのが花子に伝わったらしく、ミャンミャンと大騒ぎをはじめてしまった。電話で長く打ち合わせをしているときや、突然の変更でピンチに追い込まれたときなどは必ず花子が不安定になる。ぼくの尋常ならざる様子をビンカンに感じ取るらしいのだ。平穏に、楽しく過ごしているのがいちばん。だからイライラしないで、わたしまでイライラしちゃう、とでも言いたいのだろう。花子も自分自身も落ち着かせるために、二十分ほど散歩した。かなり平常心になることができた。花子もまあまあ静かになっていた。
 風呂に入っていたら、麦次郎が騒いでいるのが聞こえた。