わたしが猫に蹴っとばされる理由

文学・芸術・哲学・思想の読書&鑑賞日記が中心ですが、雑食系なのでいろいろ取り上げてます。猫もいるよ♡

買っちまった。

 買っちまった。エレクトリック・ギターである。モデルはエピフォンというギブソン公認の廉価版ブランドから発売されているLes Paul Studio。カラーはチェリーレッド・サンバースト。これからギターをはじめることになる。三十八にして。無論、ステージに立ち人前でギターをギュワンギュワン言わせて注目を浴びたいわけではない。文字、コトバから、そしてぼくの普段の仕事から、ちょっとだけ距離を置いた、それでいて自分が主体になる趣味がほしかったのだ。どうしたらクライアントの依頼に応えられるか。そのために、一日中アイデアを練り、コトバを考え、捻り出し、つむぎ、デザインにし(直接するのではなく、デザイナーさんに任せるわけだが)、それを毎日毎日、飽くことなくつづけている。仕事がつまらんなどと贅沢なことを言っているわけではない。ただ、飽和する。思考が飽和する。そうなれば視野は狭くなり、つむぐコトバも陳腐になる。一度離れる必要がある。近ごろは散歩が楽しくて仕方がないのだが、実は散歩に健康上の効果だけでなく、飽和した思考をほぐさせる効果を期待していた。もちろんその効果は高い。散歩は思考をリセットするだけでなく、新たな思考経路、アイデアの糸口を教えてくれることもある(いわゆる「降りてくる」というヤツだ)。そこまで求めているわけではない。リセットとリフレッシュ、それだけのために、荻窪西荻窪の街を歩く。たしかにリセットもリフレッシュもできる。しかし、歩いていると、気づけば目にした草花や野鳥、犬猫たちを、通りすぎるひとびとを、感じた空気を、広がる空を、光を、影を、アタマのなかでコトバにしている。これはもう職業病。しかたないといえばしかたない。だが、わずかでもいい、完全に脳みそを休養させ、それでいて別の面で創造的刺激を得ることができる何かがほしいと思ったのだ。絵を描こうと思った時期があるが、どこかでデザインに、そしてその道のプロであるカミサンの仕事につながるというところで、結局はおなじか、とふみとどまった。ならば音楽か。気晴らしに楽器を弾ければ、コトバ化のループからいったん離脱し、創造的な気分でまた戻ることができるのではないか。そう思った。無論、それ以前に音楽が好きであり、弾きたいという欲求もあった。
 楽器は、ピアノかギターかで迷った。ピアノなら一時的な収納も可能な電子ピアノがいいだろう。そう思って楽器屋の店員に相談したが、電子ピアノは鍵盤楽器なので縦に立て掛けて収納するのはよくないという。鍵盤がゆがむのだそうだ。おそらくキーボードやシンセサイザー、オルガン、アコーディオンなどより鍵盤のつくりがシビアなのだろう。住居兼仕事場であるわが家に、ピアノを常時置いておくスペースなどない。机の上に置いて弾き、弾かぬときは机の横に立てかけておこうと考えていた。が、それはまずいという。ならばギターか。アコギはカミサンがうるさがる。エレキは、アンプを通せばアコギ以上にうるさがれるが、ヘッドホンをするか、アンプを通さないで弾けばさほど文句も出るまい。収納にも困らない。というわけで、たまたま仕事が手離れしフリーになった今日の午後に、吉祥寺の「山野楽器」にて買ったという次第。聞いてもいないのに、ギブソンやエピフォンが大好きらしい客(店員ではない)のオッサンに、延々と「このギターはいいですよ」と勧められ、ウンチクを聞かされてしまった。そんなにゆるい表情をしていたのだろうか。だが、オッサンのアドバイスは参考にした。ありがとう。
 六時五十分起床。曇り。仕事の谷間になった。実務はほとんどない。午前中は銀行回りや経費の記帳などを済ませた。午後は吉祥寺へ。ギターとアンプを担いで帰宅。いったん取り出すものの、本格的にはいじらずに、しばし読書。夜、すこしだけ弾いてみた。というより、練習してみた。二十一時ごろ、仕事のメールが数件。軽く電話で打ち合わせ。