わたしが猫に蹴っとばされる理由

文学・芸術・哲学・思想の読書&鑑賞日記が中心ですが、雑食系なのでいろいろ取り上げてます。猫もいるよ♡

IT仏教

 八時起床。昨夜から降り出した雪は、おそらく深夜に雨へと変わりすべて洗い流されてしまうのではないか、そんな予想をしていたのだが、見事に裏切られた。屋根や塀の上辺に、わずかではあるがこんもりと積もり、路上は歩けばサク、サク、サクと音が立つ程度には雪をかぶっている。今年は雪が多い。この状況に、何か超越的な意思から人類への意趣返し(というほど悪いことではないのだけれど)のようなものを感じるのは、ぼくだけだろうか。
 十一時、カミサンと早稲田にある龍泉寺というお寺へ。伯父の一周忌の法要に参加するため。伯母、従姉たちとひさびさに再会。実家のほうからも叔父や母、従兄たちが来ていた。父は体調不良で欠席。腹痛らしい。今度、先日読んで大きな感銘を受けた本『ウンココロ』を送ってあげようと思う。

 ちょっと変わった寺だと思った。法要では、坊さんのおもしろい話を聞くことができた。「ありがとう」の反対語は何か、という問い。答えは「あたりまえ」だそうだ。なるほど、論理的。それでいて、物事の真理をついていると思った。が、この話だけなら別に変わったと強調するほどのことではない。経を読まされたのだ。最後に十分くらいだろうか、参列者全員に経典が配られ、坊さんの先導のもとで皆で声をそろえて経を読んだ。「正信偈(草四句目下)」という経だったと思う。これははじめての経験。経典を手にするのも、経を読むのも。参列者の音読、ページ(って言っていいのかな)が進むにつれだんだんとリズムが本格的に経らしくなり、そして声が大きくなっていく。
 この寺、昨年末に改修が済んだそうで、地下にある納骨堂はちまたで噂のハイテク納骨堂だ。墓参りに来た者は受付を済ませたあと指定されたブースに入る。上部には大型液晶モニタが二機設置され、一機には故人の遺影が、もう一機には戒名だの命日だの享年(寿歴と書いてあったような…)だのが表示されている。手元にあるタッチセンサーを操作すれば、(登録してあれば、の話だが)思い出の写真なども表示できるらしい。一族が皆おなじ墓に入ることがあるが、これにも対応できるようなデータベースになっているらしい。つまり、故人の姓名でではなく、故人の一族名で管理されている。「○○家」とデータを呼び出せば、納骨されている故人の氏名一覧が表示される。そこから、参りたい相手を選んで表示させるわけだ。参った者は、このデジタルな遺影位牌のもとで香を上げ手を合わせるることになる。水気厳禁なので墓洗いはできないし花は活けられないが、共用の水掛け場(設置された水晶玉のようなものに水をかけることができる。これが墓掃除のかわり)と花活けが用意されている。
 会食を済ませ、十三時ごろに解散。新宿に寄り、先日購入した「Yohji Yamamoto pour homme」のセットアップを引き上げる。ほか、特設セール会場で「ISSEY MIYAKE」のシャツなど。
 夕食はひさびさに腕を振るった。骨付きラム肉のインド風カレー。タイの唐辛子を使ったら辛すぎちゃった。